Whyから導かれる残り2つのW

                                  
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
さて、新年早々いきなりですが本論の続きです。


Whyがシモネッタの死であることからWhenが導かれましたが、WhoとWhereも芋づる式に推定することが出来ます(ただし証拠はありませんが)。


まずはWho:「春」の委嘱者について。
1475年 ジョストラ(ジュリアーノの標旗)
1476年 シモネッタの死(春)
1478年 ジュリアーノの死(絞首刑にされたパッツィ事件の首謀者たちの壁画)
括弧内はいずれもボッティチェリの作品ですが、この時期の画家のパトロンで、シモネッタの死について4つのエレジーをつくり、「春」を注文する可能性がある人物と言えば…
もちろんロレンツォ・デ・メディチ(イル・マニフィコ)以外に考えられません。


それ故、私はなぜ辻邦生が「春の戴冠」において、絵の委嘱者をロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチとしたのかが不思議でならないのです。
それはさておき、ロレンツォ・イル・マニフィコが注文主だった場合、Where(制作当初の設置場所)は当然彼の屋敷(パラッツォ・メディチ:写真)だったに違いありません。


でも、皆さんご存知の通り、「春」は1499年にはピエルフランチェスコが、ラルガ通りの館(パラッツォ・メディチからは目と鼻の先)に所有していたのです。
このことが意味するところは、絵の移譲による設置場所の変更です。
さて、いかなる理由で「春」の所有者がロレンツォからピエルフランチェスコに替わってしまったのでしょうか?
新たな謎が生まれてしまいましたが、その答えはまた別の機会に譲るとして。


When制作時期:1476年5月〜1478年4月のある時期(完成年は1477ないし1478年)
Where制作当初の設置場所:パラッツォ・メディチ(現在の所有者はリッカルディ家)
Who注文主:ロレンツォ・デ・メディチ(イル・マニフィコ)
Why制作動機:シモネッタ・カッタネオ・ヴェスプッチの死


以上、ここまで4つのWが解明しました。
残されているのは、4つの謎(ゼピュロスの蒼色については、サイト本編で「死を暗示している」と、既に解明済み)とHow:「春」のテキストです。
先日のヒント②に解答できれば、(不完全ですが)謎の1つと、Howが解明しますヨ。
(snow)