〈春と誕生(分析編)〉事実関係

今日から4月です。学生時代の友人はSNSで「私はドジャーズと契約し、大谷翔平選手の専属通訳になることが決定いたしました」なんてホラ吹いてました⁉
先月末、京都にもようやくサクラの開花宣言が出ましたが、昨年が早かったせいか、今年ほどサクラの花を待ちわびる年も珍しいですね。

さて本題です。
〈春と誕生〉の分析編では、1つの言葉(タイトル)と4人のキャストを掘り下げていくのですが、残すところ、エロス(キューピッド)とヘルメス(マーキュリー)の2人の男神だけとなりました。エロスの解説部分は、分析編のハイライトとでも言うべき箇所ですので、前後2回に分割しようと考えています。その前に、これまでわざとすっ飛ばしてきた、冒頭の章「事実関係」をアップすることにします。


                         春と誕生_事実関係

〈春〉の分析に入る前に事実関係を把握しておくことにする。ただし、現時点で分かっていることはそれ程多くはない。

〈春〉(イタリア語でプリマヴェーラ:la Primavera)は今から約540年前、1477~78年頃に、イタリア・ルネサンスの中心都市フィレンツェにおいて、サンドロ・ボッティチェリ(Sandro Botticelli、本名:Alessandro di Mariano di Filipepi 1444/5-1510)の手で描かれた。

207cm×319cmの大画面を、テンペラ画(下地は板)の技法で仕上げるのに要する時間は、およそ1年程度と言われている。ただし、構想にかけた時間や、隅々にまでこだわった絵のディティールからすれば、完成までにはより多くの時間を費やした可能性もある。

この絵は現在、フィレンツェウフィツィ美術館に所蔵・展示されているが、以前はフィレンツェ郊外にあるメディチ家のカステッロ荘に、〈ヴィーナスの誕生〉とともに飾られていた。2枚の絵が美術館に入ったのは1815年のことで、その後一旦、ミケランジェロダヴィデ像で有名なアカデミア美術館に移されたが、19世紀半ばのラファエル前派らによるボッティチェリの再評価を受けて、1919年には再びウフィツィに戻されている。

〈春〉が人々の注目を集めるようになったのはここ150年ばかりのことであり、それ以前の400年近くは、目にした人さえ数少ない、俗に言う忘れられた絵画だったのである。制作当時の記録は何も残されておらず、所有者の伝承も途絶えた現在、制作動機や委嘱者については何も分からない、というのがいつわりのない実状だろう。謎の絵と呼ばれる所以である。

ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari 1511-1574)が著した「美術家列伝(第一版、1550年)」に、「カステッロ荘に2枚の絵が残っている」と記されたのが〈春〉に関する最初の記述だと以前は考えられていた。〈春〉という画題も、「列伝」中の「春を表している」という漠然とした表記に由来するというのが定説のようだ。

カステッロ荘はメディチ家傍系のロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチ(Lorenzo di Pierfrancesco de' Medici 1463-1503、以降ピエルフランチェスコ)の所有で、彼が別荘を手に入れたのが1477年頃(当時14歳)だから、〈春〉はそれに併せて描かれたという説が一般的だった。もちろん、様式論的な裏付けがあっての話である。

ところが、近年明らかにされたピエルフランチェスコと弟ジョバンニの財産目録によって、ヴァザーリが目にする以前の1499年には、カステッロ荘ではなくフィレンツェ市内の邸に〈パラスとケンタウロス〉とともに飾られていたことが判明する。

そこで、別荘購入に代わる制作動機として考えられたのが、1482年7月のピエルフランチェスコの結婚である。以来、〈春〉と結婚は切り離せない関係となってしまった。美術書や画集で目にするこの絵の解説は、ほとんどが「結婚」や「愛」を主題とするものと言って差し支えないだろう。

誤解のないように断っておくが、この段階で事実と認定できるのは、「1499年にピエルフランチェスコが、フィレンツェ市内の邸に〈春〉を所有していた」ということのみで、その後、カステッロ荘経由で(最終的には)ウフィツィ美術館に入った、というのが事実関係のすべてである。

ピエルフランチェスコが絵を所有していたという事実。〈春〉という画題から受けるイメージ。様式論から推定される制作年代に近い所有者の結婚時期。これらを総合して、ピエルフランチェスコ結婚説が提出されたのは、まことに自然な成り行きと言わざるを得ない。絵の主役が一組の男女で、他の人々がそれを祝っているような構図なら決定的だったろう。しかし、〈春〉の構図はそうではない。

そこで、解説者たちは絵の中にむりやり結婚を見つけ出そうとする。美術書や画集には、ゼピュロスによるクロリスの略奪婚や、エロス(キューピッド)の矢を受けた三美神の1人がヘルメスと恋に落ちる話がもっともらしく語られている。しかし私には、いずれも制作動機に合わせたいがゆえの「こじつけ」に思えてならない。

実は〈春〉には、まだ誰も気づいていない結婚の場面が描かれている。しかもそれは、最高神ゼウスが認めた正式な結婚である。

すべての答は絵の中にある。それを読み解けば委嘱者も制作動機も浮かび上がってくるよう、画家は見事に仕組んでいる。