プリマヴェーラの制作動機

                                 
「春」の制作動機が「シモネッタの死」であることを、はたして証明出来るでしょうか。
証明〜までは無理かもしれませんが、
読者に得心いただくことは、不可能ではないと考えています。
その前に、例によって定説を紹介しておきましょう。
美術史家が制作動機と考えた出来事は、大きく2つあるようです。


1つ目は「別荘購入」説です。
「春」はウッフィッツィ美術館に入る前は、フィレンツェ郊外のメディチ家別荘カステッロに飾られていました。
カステッロ荘はロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチ(1463〜1503年)の所有で、彼が別荘を買ったのが1476〜78年頃だから、それに併せて描かれたという説が一般的でした。
ところが、近年明らかにされた財産目録によると、1499年にはフィレンツェ市内(ラルガ通り)の邸に、「パラスとケンタウロス」(図版)と共に所有していたというのです。
ハシゴを外された「別荘購入」説は、現在は深い眠りについているようです。


2つ目は「結婚」説です。
別荘購入に代わる制作動機として、次に歴史家たちが考えついたことは、1482年7月のピエルフランチェスコの結婚です(サイト本編にH氏が詳しく書いていますので、ぜひお読みください)。
以来「春」と結婚は切り離せない関係となってしまいました。
現代の美術書や画集に書かれている内容は、ほとんどが「結婚」や「愛」を主題とするものと言って差し支えないでしょう。
結婚を祝う絵に「春」というタイトルをつけるのは、誠におめでたいと私も思いますが、
一方、「死」を暗示するゼピュロスの存在は、全くもってKYです。
披露宴によばれてご祝儀を出そうとしたら、紅白のはずの水引の色が白黒だったみたいな (^_^;)
その辺りの矛盾が克服出来れば、「結婚」説も説得力を持つのかもしれませんが、
歴史家は、見て見ぬふりを決め込んでいるようです。


それ以外にも、ジュリアーノ・デ・メディチの悲劇(1478年4月パッツィ事件で暗殺)を制作動機とする説など、亜流はいくらでもあります。
無論「シモネッタ死亡」説も新機軸ではありません。
辻邦生の小説「春の戴冠」も、この説を採用しています(昨年9/3のブログを参照してください)。


では、「シモネッタの死」を制作動機とした場合、
この絵はどのように説明することができるでしょうか。
どうか画家の立場で考えてみてください。
ちょっとその前に、1476年(シモネッタの没年)における、
登場人物たちの年齢をチェックしておきましょう(多少の誤差はご容赦下さい)。
530年前の話ですから、日本でいえば室町(戦国)時代のことです。
ボッティチェリ:32才
ロレンツォ・デ・メディチ:27才
シモネッタとジュリアーノ・デ・メディチ:23才(同い年)
アンジェロ・ポリツィアーノ:22才
ついでに、ピエルフランチェスコ:13才


ロレンツォが主宰するプラトン・アカデミーという私的サークルのマドンナだったシモネッタが、肺病による闘病生活の後、とうとう身罷ります。
ポリツィアーノは前年1475年のジョストラ以来、彼女とジュリアーノのロマンスを詩(ジュリアーノ・デ・メディチの馬上槍試合のためのスタンツェ)に書き続けていました。
ボッティチェリはといえば、「美しきシモネッタはボッティチェルリ自身のシモネッタ、彼の〈永遠の女性〉であった。」(矢代幸雄著『サンドロ・ボッティチェルリ岩波書店より)といった具合です。
このような状況下でシモネッタが没し、ロレンツォから絵の委嘱を受けたとして、
いったい画家は何を思ったでしょうか。
おそらく、彼女の死後の幸福を願わずにはいられなかったはずです。


小説「春の戴冠」では制作動機を、シモネッタの命を救うためとしています。
つまり、絵によって彼女を元気づける〜勇気づける、という意味なのでしょう。
現実には、「春」はシモネッタの死後に描かれたはずですから、彼女を元気づけることは不可能ですが、
画家は、シモネッタをプシュケに見立てることによって、
彼女の死後の幸福を見事に描いて見せたのです。
そこにはアプロディテよりも美しいとされるプシュケ(シモネッタ)を主人公に、
彼女の羽化〜すなわちサナギ(肉体)から蝶(霊魂)が抜け出す瞬間が表現されています。
そして、何よりも「春の寓意(allegoria della Primavera)」という題名が、
彼女の幸福を約束しているのです。


「春の戴冠」における制作動機は、厳密にはもう1つありました。
彼女の魂を絵に封じ込める、というものでした。
私は小説家の直感に、心から敬意を表します。
ボッティチェリが絵に込めた願いは、彼女の死後の幸福だけではありませんでした。
画家は、女神(プシュケ)となったシモネッタが、
未来永劫メディチ家を庇護していくことを念じて、その魂を絵の中に封印したのです(5/2のブログ「ヘルメスと宝杖」を参照してください)。


私はこの絵に全精力を注ぎ込んだ画家の執念に、驚嘆を禁じ得ませんが、
絵の完成から時を置かずして、彼の願いを裏切るかのように、ジュリアーノが神に召された時(しかもシモネッタの命日に)、
ボッティチェリが受けた、計り知れない衝撃を想像すると、言葉を失ってしまいます。
彼が没して、来年でちょうど500年となります。
今の私に出来るのは、パッツィ事件以降タブーとなってしまった、
画家の真意を、ただ世に示すことのみです。
(snow)