題名の考察

                          
第3の壺、すなわち「春」という題名の意味については、謎解きの最終段階まで待っていただかねばなりませんが、今回は題名を与えたのが画家本人なのかどうかについて、考えてみることにします。
手掛かりとなる事実は2つあります。
ヴァザーリの「列伝」中のun'altra Venere che le Grazie la fioriscono, dinotando la Primavera(もう1枚のヴィーナスは、三美神によって花で飾られており、春を表している)という記述と、allegoria della Primavera「春の寓意」という絵の正式名称です。


現在、ウフィツィ美術館(写真)のサイトを見ると、俗称であるla Primaveraが使われていますが、私が1990年にこの眼で実際に見た銘板には、確かにallegoriaと刻印されてました(何方かfollowしていただけると助かります、ここでは正式〜俗称の議論をしたくないので)。


ウフィツィがその名称を認知したのは、1815年に絵が美術館に入った時だと思いますが、当然のことながら所有者(メディチ家)の申告に基づいて登録したに違いありません。
一方のヴァザーリですが、彼が列伝に書き記したのはdinotando la Primavera(春を表している)という言葉のみです。


もうお分りだと思いますが。つまり、ヴァザーリが名付け親だったとしたら、allegoriaはどこからまぎれ込んだのか? ということなのです。絵のタイトルが不確かで、彼の言葉が唯一の根拠なのだとしたら、本名は「la Primavera」でなくてはなりません。


絵の題名を作者以外が付けることなど想像できない、と以前(7月2日)書きましたが、タイトルには画家の思いが込められています。逆説的な言い方をすれば、題名に拘るのは作者のみで、見る側は別に何だって構わないのです。
「春を表わしている」という曖昧な表現は、絵とタイトルとのギャップから生まれた言葉だと、私は考えています。
メディチ家の人々はこの絵を「春」と呼んでいる(あるいは、この絵には「春」という題名が付けられている)、私にはその理由はよく判らないが」といったニュアンスでしょうか。


メディチ家がallegoria della Primaveraと申告したのなら、題名は当初から一貫してそうだったはずで(拘りのない者が、改名することなどあり得ない)、名付け親はボッティチェリ以外には考えられません。
このことは、全ての謎が解明した時に、納得してもらえると確信しています。
(snow)