天地創造4

       

制作の途中、下絵発表の段階からマスコミを賑わしていたこの作品だが、肝心の受け皿(オペラハウス)の計画が暗礁に乗り上げてしまい、行き場を失ってしまった。しかし完成披露は京都市美術館において、約2週間にわたって行われた(「天地創造」がKBSホールに入るのはそれから11年後の1981(昭和56)年である)。
ところがここでまた問題が発生する。
美術館の展示室は幸い作品よりも大きかったため事なきを得たが、その設置方法が問題になった。すなわち作品を立てて見るためには、足場組から始まって照明器具の設置まで3日もかかるというのだ。設置程ではないにせよ撤去するにも多少は時間がかかる。設置と撤去に4日も費やしていたのでは2週間の展覧会期間が2/3になってしまう。そこで考え出された解決方法は、作品自体は床に並べて(照明は下に仕込んで)、その上に橋を渡して上から見おろすというものだった。
先程その起源について触れたが、それが建築的に処理されている場合、私たちはステンドグラスが見上げるものだという意識をどこかに持っていないだろうか。光は天から降り注ぐものだという固定観念を。その意味で、京都市美術館における「天地創造」展は、訪れた人にとっては不思議な体験となった筈である。
余談だが、2008年5月31日に放映された、朝日放送の「週末の探検家〜夢羅針盤〜」という番組で「天地創造」を紹介して頂いた(ナビゲーターは堀ちえみさん)。私もロケーションに立ち会ったが、目隠して彼女を作品の前に連れて行きそれをはずした途端、あまりの大きさにうしろにひっくり返りそうになったのが、とても印象に残っている。



ステンドグラスの制作と時期を同じくして、彦之助が手がけた仕事に銅鐸の研究がある。「銅鐸は生きている」白川書院
120枚のピースの調子を合わせるために、ステンドグラスの仕事は昼間の一定時間だけに限り、夜は夜で、彼は古代史の(しかも少しアブナイ)世界に没入していたのだ。
次回以降は、彦之助と私の共作で、私たちのごく身近に存在していながら「芸術家の目を通して見ると、これ程違ったものに見える」一例として、お寺の梵鐘についての考察をお読みいただくことにしよう。