「待つ」ことについて


古今東西を問わず、何事かを成し遂げるためには「待つ」時間=期間が必要である。
このことは、先人たちが残してくれた金言からも、推し量ることが出来る。


・人事を尽くして天命を待つ(私の義父が好きな言葉)
・果報は寝て待て(個人的にはこれが…)
・待てば海路の日和あり(船乗りじゃないので、使ったことはないが)
・冬来たりなば春遠からじ(岡ひろみの父親が好きな言葉)
・明けない夜はない=止まない雨はない(そういえば最近TVで見た映画「100回泣くこと」で、「降らない雨はない」というヒロインのオバカな科白があったな〜)
・慌てる乞食は貰いが少ない(これはちょっと違うか)


「待つ」ことの辛さには、それがいつまで続くのか分からない、という厄介な面がある。


かつて、青森県下北半島に出張した際、三沢駅青い森鉄道)で大雪のため足止めを食らい、今日中に目的地に着けるかどうかイライラしていた時、駅長が言ってくれた「どんなに遅くなっても、今日中に必ず1本は通しますから」で、気持ちがフッと軽くなったことを鮮明に思い出す。
同じ駅で待たされていた地元高校生たちの屈託のない笑顔に、雪国の人は「待つ」ことなんて(毎度のことだから)全然ヘッチャラなんだ、と妙に感心した記憶も…


話は変わるが、先日宮部みゆきの「ソロモンの偽証」を読んだ。
中学生だけによる陪審員裁判という、奇想天外な物語がとても面白かった。ただし長いけど。
その中に、「待つ」ことについての秀逸な一文があったので紹介します。


「幼さは、若さは、すべて同じ弱点を持っている。待てないという弱点を。事を起こせば、すぐに結果を見たがる。人生とは要するに待つことの連続なのだという教訓は、平均寿命の半分以上を生きてみなければ体感できないものなのだ。そして、うんざりすることではあるけれど、その教訓は真実なのだと悟るには、たぶん、残りの人生すべてを費やすまでかかるのだ。」


私も当分は、「待つ」日々が続きそうである。