見えないモチーフ(ヒント③解答)

                              
画家は時として「目に見えないモチーフ」を描くことがあります。最も説明しやすい例は「受胎告知(聖告)」でしょう。


「マリアが孕んだ!」
「エ〜ッ、でも私誰ともエッチしてないし〜」
そこで、神様はメッセンジャー・ガブリエルを使わし、彼女に真相を告げるというお話です。


私たち日本人にはあまり馴染みがありませんが、キリスト教世界における天使は、人間の目には見えない存在です。
かつて教会は、文盲無学の教徒に絵を使って教義を教えねばなりませんでした。そこで、どうやって見えない天使を絵にするのか。
誰が考え出したのかは知りませんが、その解答は「翼」あるいは「光輪」にあります。
翼や光輪とともに描かれた人物が天使であり、イコール見えない存在、という約束になっているのです。


私の好きな絵の1つに、アントネッロ・ダ・メッシーナ(1430頃〜1479)の「受胎告知を受けるマリア(図版)」があります。このボッティチェリと同時代のシチリアの画家は、天使を描かずに、この場面をリアルに表現してみせました(この絵は彼の故郷にあるため、残念ながら私はまだ目にしていません)。


さて、天使の場合は「見えない」という約束事があるだけで、実体はそこに描かれていますが、描かれているのは記号のみで、実体は別のところにある、というような表現方法もあります。
最近あまり見かけなくなりましたが、以前はよく民家の玄関先に「犬」と書かれた四角い紙が貼ってありました。目的は泥棒よけですが、「犬」という記号が、どこに居るのかは分からないけれど、その存在を暗示していたのです。


「春」における「目かくし」された幼児のエロスは、この2つの要素を併せ持つ、「見えない」エロスの存在を示す記号です(縦糸⑧と横糸⑥の半分、横糸⑨の解答)。
では、彼の実体はどこにあるのでしょうか?
少なくとも、プシュケがゼピュロスに運ばれてきた時点では、彼はプシュケの隣にいて、彼女を支えていなければなりません。


そこで、次なる問題です。
プシュケの右手首は、なぜこれほど無理な角度に曲げられているのでしょうか?(縦糸⑦)
みずかさんは「身体が倒れるのを守ろうとして力が入った」とされています。見事な解釈だと思います(絵心アリです)。
矢代氏は「そこでは驚くフローラが美しい曲線を描いて腕を伸ばしている。その腕は、白い手それ自体が苦しんで助けを求めて叫んでいるかのように、突然上向きになって終っている。この手首の返しは、急激な一瞬にのみ可能であり、全体の曲線の頂点として効果的に用いられた」ですって。何のこっちゃ??? 意味不明 (^_^;)


2人ともエロスの存在を知らずに、右手首に解説を加えた訳ですが、彼がそこに居ることが判った今、解釈はどのように変化するのでしょうか。
ちなみに私は「この右手は何かをつかんでいるようにしか見えない」と考えています。
プシュケの右手は、いったいエロスのどこをつかんでいるのでしょうか?
(snow)