テキスト(その1)

                                    
キャストの紹介が終了したので、次はテキストに移ります。
「春」のテキストは、登場人物たちから類推して、ギリシア神話の「エロスとプシュケ」と考えられます。


ちょっと待った〜! と思われる方が居られるかもしれません。
「エロスとプシュケ」にフロラ(花の女神)は出てきませんし、それに前回、私はキャストの不完全さを理由に、「ラ・ジョストラ(馬上槍試合)」説および「行事暦(祭暦)」説を否定したばかりです。
自分の説だけ例外を認めるのカイ〜、とお叱りが聞こえてきそうですね。


例外はフロラだけではありません。
「エロスとプシュケ」にはカリテス(三美神)も出てきませんし、何よりテキスト中のエロス(キューピッド)は幼児ではなく青年です。
これらの図像的逸脱を理由に、これまで「春」のテキストが「エロスとプシュケ」だとは誰も考えませんでした。いや、考えた人はいたのかもしれませんが、その説がメジャーになることはありませんでした。
しかしながら、この例外部分にこそ「春」の本質が隠されているのです。


一方、定説に目を向けると。
例えば「ラ・ジョストラ(馬上槍試合)」に登場しないヘルメス(マーキュリー)と、テキストを関連づけようとする努力は、一向に見受けられません。
ちょっと脱線しますが、画面右端のゼピュロス(西風)の青色についても同様です。
これ程特徴的な描写を画家がしているにも拘わらず、定説ではこの色に詳しい分析が加えられることはありませんでした。


話を戻しましょう。
「春」のテキストが「エロスとプシュケ」だとしても、フロラ、カリテスそれに幼児のエロスを説明することは可能です。ゼピュロス(西風)の青色も明快に解説できます。
今回は一番簡単なカリテス(三美神)の説明をしましょう。
三美神に関する詳しい研究は、分析好きの西洋人の面目躍如といった感じで数多く存在しますが、重要なポイントは次の2点に尽きます。すなわち、神話における彼女たちの役割は、
①アプロディテ(ヴィーナス)の侍女で、女神の世話をする
②神々の宴において舞姫となり輪舞を披露する


「エロスとプシュケ」の結末は、人間の娘プシュケがエロスと結婚して神々の仲間に加えられる、というハッピーエンドです。
「ゼウスはヘルメスをやって、プシュケを天の団欒に連れて来させました。プシュケが着くと、ゼウスはアンプロシアという不老不死の霊酒の杯を渡しながら申しました。『プシュケよ、これを飲んで神体になるがよい。またエロスは自分で結んだこの縁を破ってはならない。永久に仲よくしなければならぬ。』 こうしてプシュケはついにエロスの妻となりました。そのうち一人の娘が生まれました。その名を悦びと呼びました。」(トマス・ブルフィンチ著、野上弥生子訳 『ギリシアローマ神話』 岩波書店より)


神々の宴において輪舞を披露するカリテスが、このラストシーンに登場しても何ら不都合はありません。画家は彼女たちを描くことで、2人の結婚が成立したことを表現したのです。
(snow)