エロスとプシュケ テキスト(その2)

                                    
ここで「春」のテキスト、「エロスとプシュケ」を紹介しておきましょう。
少し長いですが、(ブログの場合2回に分けると前後が逆さまになるので)お付き合い下さい。


なお、作成した文章は、「トマス・ブルフィンチ著、野上弥生子訳 『ギリシアローマ神話』 1978  岩波書店」をベースに、一部Mさんのサイト〜テオポリス(ギリシア神話データベース&西洋絵画紹介)を参考にさせていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。



ある王に3人の娘がいました。2人の姉も器量良しでしたが、末娘のプシュケの美しさは言葉に表せないほどでした。人々はいつしか女神アプロディテ(ヴィーナス)以上に彼女を崇拝するようになりました。
これに立腹したアプロディテは、息子のエロス(キューピッド)を呼びつけ、娘を身分の低いつまらない人間に恋させるようにと命じたのです。
悪戯好きのエロスは、早速母親の命令に従うことにしました。女神の花園に湧く泉から、甘い水と苦い水を汲むと、それを携えて娘のところに向かいました。部屋に着くと、プシュケは眠っていました。少し気の毒に思いながら、唇に苦い泉の水を滴らせると、エロスは彼女の脇腹を矢でつつきました。プシュケは目を覚まして彼の方を見つめましたが、その姿は彼女には見えませんでした。あわてた拍子に自の矢で傷ついたエロスは、たった今行ったばかりの悪戯を取り消すために、今度は甘い泉の水をプシュケの髪に降りかけたのです。
それ以降、アプロディテの不興をこうむり、プシュケは誰とも結婚することが出来ませんでした。これを不審に思った両親がアポロンの神託を伺うと、「その娘は人間の花嫁になることは出来ない。未来の夫となる怪物が山の頂上で待っている。」という世にも恐ろしいお告げが下りました。人々は驚き、両親は悲しみに沈みましたが、プシュケは自らこの運命に従うことにしたのです。
山頂にただ1人残されたプシュケが、怖ろしさにドキドキしながら、眼に涙をいっぱいためて佇んでいると、ゼピュロス(西風)がやって来て、彼女を花の咲いた谷間へと運んで行きました。
プシュケが眠りから目を覚ますと、傍には見事な宮殿が建っていました。その荘厳な佇まいから神様の離宮であると思われました。中に入ってゆくと、姿のない声が彼女に話しかけました。「私たちはあなた様の下部です。何なりとお申しつけください。」そして声の従者たちが彼女の身の回りの世話をしてくれたのです。
プシュケは何不自由なく暮らしましたが、夫の姿だけは見ることが出来ませんでした。その人は夜だけ来て、明けないうちに帰ってしまいました。「どうぞ姿を見せて下さい」と、幾度となく頼んでみるのですが、夫は聞き入れてくれません。「なぜ私を見たいのだ。私の愛に疑いでもあるのか。私はただお前が愛してくれさえすればよいのだ。神として崇めてもらうより、お前と同等のものとして愛してもらいたいのだ。」こう聞かされたのでしばらくはプシュケも気が休まりました。けれども、両親たちに今の身の上を知らせていないことを思うと、宮殿もきれいな牢屋のように感じられました。ある夜プシュケがその悲しみを訴えますと、夫もしぶしぶながら姉さんたちを呼ぶことに同意しました。
宮殿にやって来た2人の姉は、妬ましさから果てしなく色々なことをプシュケに尋ねました。そしてとうとう、彼女がまだ夫の姿を見ていないことを突き止めたのです。姉たちは、きっと夫は恐ろしい大蛇だと言って彼女に疑念を抱かせ、その姿を確かめるよう言い含めました。「蝋燭とナイフを隠し持っておき、夫が寝入るまで待って、彼の言うことが本当かどうかを確かめるのです。もしも大蛇だったら、すぐに頭を切り落としなさい。」最初はプシュケも取り合おうとしませんでしたが、2人が帰ると、自らの好奇心も手伝って、ある夜とうとう夫の姿を見てしまいます。けれども夫は恐ろしい大蛇などではなく、この上なく美しい神様だったのです。そしてもう少し近づいて顔を見ようとしたその時、蝋燭のしたたりがエロスの肩に落ちてしまいます。
「愚かなプシュケ、お前は私の恋にこんな仕打ちをした。母の命令にまで背いて妻にした私を、怪物だと思って首をはねるのか。もういい、姉さんたちのところへ帰るがいい。お前にはあの人たちの言うことの方が私より大事らしい。なにも罰しはしないが、永久に別れることにした。恋と猜疑はいっしょには住めないからだ。」こう言い残すと、エロスは飛び去ってしまいました。
プシュケはしばらくのあいだ、寝食を忘れて夫を尋ね歩きました。ある時、荒れ果てたデメテル(ケレス)の神殿を片づけ、女神から「アプロディテに身をゆだねるがよい。」というアドバイスを貰います。
アプロディテは不機嫌な顔つきでプシュケを迎えました。そして不可能とも思える難題を彼女に課したのです。
最初の仕事は、鳩の餌を蓄えた倉庫の整理でした。大麦小麦など、おびただしい数の穀物を、日暮れまでに仕分けしなければなりません。プシュケが途方に暮れていると、エロスに命じられたアリたちが、彼女に代わってその仕事を片づけてくれました。
次の日の仕事は、河向こうに住む獰猛な羊たちの、金色の毛を集めてくることでした。危険を伴うこの仕事も、河の神の指図に従ってプシュケは無事にやり遂げました。
しかしアプロディテの怒りはまだ治まりません。
最後の仕事は、女主人から手渡された小箱を持って、冥府の女王ペルセポネのところに行き、美を分けて貰ってくるというものでした。いよいよ自らの死を覚悟したプシュケは、高い塔から身を投げようとします。すると塔が彼女に話しかけました。「不幸な娘よ、死んでしまったら、冥府へ行くことは出来ても、戻ってこられなくなるのですよ。」そして、ハデスの国へ行っても無事に戻ってこられる方法を、詳しく教えてくれたのです。
・スパルタ近くのタイナロン岬に冥府に続く洞窟があるので、そこから入って行くこと。
・冥府に着くまでには2つの関門があり、1つ目はステュクス河の渡し守カロンである。彼の船に乗せてもらうには、銅貨1枚を支払わなければならないが、プシュケの場合は往復なので2枚口の中に含んでいき、行きと帰りに1枚ずつカロンに取らせること。
・2つ目は宮殿の門を守る3つ首の番犬ケルベロスで、ここを通るには餌を与えて気をそらすしかない。甘い団子を両手に1個ずつ握っていき、入る時と出る時に投げ与えること。
・道中様々な亡者たちが「手を貸してほしい」と頼んでくるが、それは団子を失わせようとする罠なので聞いてはならない。
・女王ペルセポネがご馳走を勧めてくれるが、それに手をつけてはならない。女王の足元の地べたに座ってパンのみを食べること。これは、一度でも冥府の食物を口にした者は以後冥府の住人となる、という掟があるため。
・ペルセポネに渡された小箱の中身を、決して見てはならない。
プシュケはその教えを忠実に守って、無事に冥府から戻ってきました。ところが最後の最後で、持ち前の好奇心から見てはならないと忠告された小箱を覗いてしまいます。箱の中身は美ではなく冥府の眠りだったため、プシュケは今度こそ本当に永遠の眠りについてしまいました。
これを見ていたエロスは、プシュケの身体から眠りをかき集めて彼女を助けると、すぐさまゼウスの前に進み出て、2人のことを嘆願したのです。
エロスの願いを聞き入れたゼウスから熱心に説得されて、アプロディテもとうとう2人の結婚を承知します。
ヘルメスに案内されて天の団欒に連れてこられたプシュケは、ゼウスから不老不死の霊酒を与えられて神体となり、ついにエロスの妻となったのです。その後2人の間には、悦びという名の娘が生まれました。
(snow)