プシュケ説の根拠

                          
キャストとテキストの紹介が済み、いよいよ絵の解説へと進むのですが、その前に右から2人目の女性が本当にプシュケなのかどうかを、チェックしておくことにします。


まずは定説に触れておかねばなりません。
古今東西「春」には様々な解釈がありますが、2人目の女性に関しては、何故かクロリス(フロラ)で見解が統一されているようです。というより(プシュケ説を除いて)他の説というのを、私は目にしたことがありません。
絵の右側を、彼女がゼピュロスにさらわれた場面だと考えれば、神話における解答は確かにクロリスが正解でしょう。
しかし、ここには大きく2つのハードルが立ちはだかっています。


1つ目は、アプロディテ(ヴィーナス)より左側の神々との繋がりがない、ということです。
プシュケ説を、フロラ(花の女神)との繋がりがないという理由で却下するのであれば、同様の理由でクロリス説もまた成立しません。
9人全てのキャストが登場する、未だ私たちが知らないテキストでも出てくれば話は別ですが、(話がややこしくなるので、ここでは詳しい説明はしませんが)ボッティチェリという人は、いつも1つの物語を選び、それを忠実に表現するタイプの画家だったのです。
したがって、彼女がクロリスであれ、プシュケであれ、別の誰かであれ、他のキャストとの関係が全て説明できなければ、この絵を解説したことにはなりません。
2つ目は、何度も繰り返し指摘しますが、彼女をさらったゼピュロスが何故蒼白に描かれているのかという点です。
蒼白の西風との関係が説明できなければ、やはりクロリス説はハードルを超えたことにはなりません。


さて一方、プシュケ説のハードルとは何でしょう。
これは既に指摘済みですが、フロラの存在と幼児のエロスがそれにあたります。
今回はこれに詳しい回答を与えることはしませんが、さわりだけお話ししておきましょう。
まずはフロラから。
彼女は確かにテキストには登場しません。そのことは私も認めます。
彼女がこの絵に呼ばれた理由は、その名前にのみあります。
「花」を意味するこの女神は、「蝶(プシュケ)」に寄り添うために「春」に描かれました。
もちろん「花」と「蝶」が「春」を暗示することも、忘れてはなりません。


次は幼児のエロスです。
テキスト中、彼は青年の神として描写されています。しかし、物語をよくよく読めば、彼はプシュケにとって「見えない」存在であることが分かります。
画家はエロスの実体を「見えなく」するために、その存在を示す記号として、幼児の姿で彼を描き、目かくしをしたのです。2/18のブログ「見えないモチーフ」を参照して下さい。
さらに、彼の矢は恋を自在に操るアイテムとしてあまりに有名ですが、「春」に描かれた矢には全く別の意味が込められています。
矢が太古から男根の表徴であることは、歴史家も認めると思いますが、そこに炎が点されているとすれば、いったいこれは何を意味するのでしょうか。
ギリシア神話男神たちは、ゼウスを筆頭にメチャクチャ女好きですが、エロスはその名とは裏腹に、愛人を1人も持たず、ただ1人妻のプシュケのみを愛した、身持ちの堅い神様なのです。
したがって、彼の男根が燃え盛るためには、プシュケの存在が不可欠というわけです。


さて、右から2人目の女性をプシュケとする私の説は、ハードルをクリアできたでしょうか。
それとも、クロリス説にも、このような展開があるとでもいうのでしょうか。
(snow)