エロスの矢

                                    
よい機会なので、矢の話を続けましょう。
まずは定説からです。以下はサイト本編の一般的解釈から引っ張ってきました。


・中央の目隠しされたキューピッドはその愛の色矢を三美神の中央の「貞潔」に向かえてつがえ、「貞潔」は左の「愛欲」と右の「美」に導かれて(メルクリウスへの)愛に目覚めてゆく。
・汚れのない美しい処女である三美神のひとりに愛の火をともすという行為は、花嫁への明白な賛辞。
・キューピッドの矢が狙っているのは三美神の左端の女神であり、この女神の頭部には何度も調整が加えられたことがX線撮影によって確認できる。


オヤオヤ〜定説にも色々あるようですが、矢は三美神の中央の女神に当たるという説と、左の女神に当たるという説があるみたいですね。いったいどちらが正解なのでしょうか。
画家が矢の向きをどれ程厳密に描いたか、については議論の余地があると思いますが、もし矢が正確に的を射抜いていると仮定すれば、「左の女神」説はどう見てもアウトですね。右の太腿には突き刺さるかもしれませんが、ちょっと変態的 (^_^;)
「中央の女神」説も怪しいと思います。3/27のブログ、ヒント④の画像を見れば分かりますが、矢の延長線は彼女の左肩をかすめているだけです。
画家が彼女に矢を命中させたければ、きっと頭か胸(心臓)を狙うはずです。


どうも納得いきませんが、100歩譲って「中央の女神」説を取ることにしましょう。
定説では、エロスの矢が当たって彼女は愛に目覚める、となっているようです。
でも、誰かを愛するためには金の(あるいは甘い水に浸した)矢が当たらないとダメなんですよね。しかも、2本目の矢が男性(ヘルメスか誰か)に当たらないと…
ボッティチェリが描いたエロスの矢には、炎が点っていますよ。オッカシイネ〜
「愛の火をともすという行為」か、上手いこと言いますね。
もうちょっと進みましょうか。
愛の火を点された彼女は、ヘルメス(メルクリウス)に恋をする〜でしたっけ。
ここまで来ると、明らかに神話から逸脱してますよね。


現代の私たちは、「愛の火」だとか「恋は盲目」だとか、抽象的な解説を聞いても、なんとなくそうかな〜と思いますが、500年前の画家は、はたしてそんな中途半端なイメージで、絵を描くことが出来たのでしょうか。
ボッティチェリギリシア神話の知識を「プラトン・アカデミー」、もっと具体的に言えば、マルシリオ・フィチーノやアンジェロ・ポリツィアーノたちから得ています。そして、その知識を下敷きにして「春」を描いたのです。
物語のとある部分を描写するために、画家が独自のアイデアを盛り込むことは有り得るとしても、ストーリーそのものを改変することなど、決して考えられません。
「中央の女神」がヘルメスに恋をする、と画家が言ったとしたら、サークルの笑いものになったでしょう。彼女が愛に目覚めるために、エロスが金以外の矢をつがえていることを、画家は彼らにどう説明したというのでしょうか。


はっきり言いましょう。定説は間違っています。
エロスがつがえているのは、金(甘い水)の矢ではありませんし、それは「中央の女神」には当たりません。ましてやヘルメスに恋などするはずがないのです。そんな話はギリシア神話のどこを探しても出てきません。
美術史家の創作も、悪くはないと思いますが、絵がそれを証明していません。
画家は絵の中に決定的な証拠(図版〜厳密な矢のアウトライン)を残しています。これは、矢を的に正確に当てるための伏線です。その声に耳を傾けなければ、この絵は決して解明することは出来ません。
次回は的の話をしましょう。
(snow)