〈春と誕生〉序文

今年2月に〈春と誕生〉のアブストラクトをアップしましたが、今回は序文です。
春は謎に満ち満ちた作品ですが、ヴィーナスの誕生(この誰もが知る名画)も、現在まで制作動機は不明です。
〈春と誕生〉は序文の後、分析編・総合編・展開編・完結編の4章で構成されていますが、ヴィーナスの誕生の制作動機は、展開編で明らかになります。


                         春と誕生_序

イタリア・ルネサンスの至宝が集まるフィレンツェウフィツィ美術館。なかでもボッティチェリの部屋(第10~14室)の人気は高く、絵の前から人影が絶えることがない。その比較的大きな部屋にあって、一際目を引くのが彼の代表作〈春〉と〈ヴィーナスの誕生〉である。

大きさの類似、いずれもギリシア神話がテーマで、中央に女神ヴィーナス。しかも、同じ建物(メディチ家のカステッロ荘)に飾られていたという事実。これらの理由から、2枚の絵は、現在では対幅をなすものと考えられているようだ。

ところが、ちょっと視点をずらせば、2枚はことごとく違っていることが分かる。

〈春〉は1477~78年頃、〈誕生〉は1486年頃の制作だが(様式論に基づく推定)、そこには同じ神が2人、繰り返し描かれている。1人は画面中央のヴィーナスで、もう1人は画面の左右に配されたゼピュロス(西風)である。女神は、一方が着衣でブルネット、他方は裸身でブロンドだ。西風に至っては、どういう訳かその表現は決定的に違っている。〈春〉では死神と見紛うばかりの蒼白に彩色されたゼピュロスが、〈誕生〉では健康的な肌色で表現され、しかも女性と抱き合って薔薇を撒き散らしながら女神を岸辺に吹き寄せようとしている。

技法の違いも指摘しておこう。いずれの絵もテンペラ画(卵黄等に顔料を混ぜ合わせ、板や画布などに彩色する方法)だが、〈春〉の下地は板で〈誕生〉の方はキャンバスである。これは単に素材の違いを意味しているのではない。テンペラ画の場合、下地によって制作期間が大きく異なるからだ。ほぼ同サイズの2枚だが、完成までに要した時間は、〈誕生〉は〈春〉の10分の1程度だった。

ボッティチェリは数多くのテンペラ画を残しているが、そのうちキャンバスに描いた作品は僅か数点に過ぎず、それ以外はみな制作の面倒な板絵である。画家が〈ヴィーナスの誕生〉に画布を用いたのは、柔らかい雰囲気を出したいという表現上の理由からか。委嘱者によって制作期間が制限されていたためか。それとも、そこにはまだ誰も気づいていない何か特別な意味が隠されているのか。

さらに、〈誕生〉が解説の必要性を感じさせない単純な絵であるのに対し、〈春〉は美術史上最も難解な、謎に満ちた作品としてこれまで理解され続けてきた。〈春〉にはギリシア神話の神々が(なぜか1人だけはローマ神話だが)ズラリと勢揃いしている。彼ら9人がある物語の配役とピタリと一致しており、その題名がつけられていたなら、難解さなど何もなかったに違いない。ところが、該当するような話はどこを探しても見つからず、その上〈春〉という何やら意味深長なタイトルが与えられている。

これ程までに違う2枚を、対幅をなすものと考える理由はいったい何なのだろう。

〈春〉と〈ヴィーナスの誕生〉、2枚の絵にははたしてどのような関係があるのか。すべての謎は、先に描かれた方の絵を読み解くことで解明する、と私は考えている。

〈春と誕生〉アブストラクト

6年半ぶりにブログを更新します(もはや更新とは言えないか~しかもなぜかデスマス調)。

イタリア・ルネサンスの画家、ボッティチェリの代表作〈春:プリマヴェーラ〉と〈ヴィーナスの誕生〉。
2枚の名画の制作動機を初めて解明した〈春と誕生〉が完成し、昨年から出版社と交渉中なのですが、これが中々進展しません。

一番の理由は、私が在野の人間であり、この分野における実績がない、ということらしいのですが?!
ちなみに、内容を深読みしてジャッジしてくれた版元は未だありません。

ですが…
目の前に料理を出されて、美味いかどうか尋ねられたら、普通は食べて判断するのでは。
ところが出版業界では、この料理は誰がつくったのか、その人にはどんな実績があるのか~と尋ねるのがしきたりのようです。

そこで、出版社詣では継続するとして、アブストラクトをネット上に公開することにしました。
本論にご興味のある方(料理を食べてみたいという方)、出版に手を貸してやろうと考えてくださる方、メッセージをお寄せください(コメントでも構いませんが、プロフィール中にメアドがあります)。
※英語版も用意しています。ご希望の方はリクエストしてください。

 

                        春と誕生_Abstract

 

サンドロ・ボッティチェリの〈春:プリマヴェーラ〉は、制作後約540年、決定版と言える解釈が存在しない、西洋美術史上第一級のミステリーである。現在は、結婚を祝う絵と考える説が主流のようだ。この絵の謎を解き明かし、そこに込められた画家の「真意」を明らかにする。また、その結果を基に〈ヴィーナスの誕生〉の制作動機を解明し、2枚の絵にどのような関係があるのかを明白にする。

なぜ、〈春〉という絵は解読できないのか。それは、向かって右から2人目の女性を取り違えたからに他ならない。多くの既存説では、彼女はギリシア神話の大地の精:クロリス、あるいはローマ神話の花の女神:フロラと考えられている。しかし、それでは絵の左側を同じテキストで解説することができない。加えて、彼女の右隣の男神が蒼白に描かれている理由も説明がつかない。

本論の骨子は、「画家の視点から、絵をありのままに見る」ということに尽きる。その基本方針に従ってこの絵を分析し、得られた結果を総合すると、彼女がギリシア神話の女神:プシュケ(エロスの妻)であることが判明する。そこで、〈春〉のテキストがギリシア神話〈エロスとプシュケ〉だと考えると、彼女と他のすべての神々との繋がりが明らかとなり、様々な細部(蒼白のゼピュロス、口から吐き出される花々、炎の矢、エロスの目隠しなど)にも説明がつくようになった。

ボッティチェリは〈エロスとプシュケ〉の寓話をテキストに選び、夭折した同時代の女性、シモネッタ・カッタネオ・ヴェスプッチの冥福を祈ってこの絵を描いた。〈春〉という画題は、彼女の死後の幸福を約束するもので、その上、画家は彼女の魂を絵の中に封印しようとした。

ところが、絵の完成から時を置かずして、メディチ家に対するテロル(パッツィ家の陰謀事件)が発生し、注文主であるロレンツォ・デ・メディチ実弟ジュリアーノが落命する。その煽りを受けて、〈春〉は不吉な絵、不幸を呼ぶ絵として親戚の邸に移されてしまう。

数年後、絵が冷遇されていることに気づいた画家は、何とかして彼女の魂をそこから救い出そうとした。しかし、一旦納めた絵を描き直す訳にはいかない。そこで彼が考えついたのは、彼女をヴィーナスとして甦らせることだった。ボッティチェリは自らの手で封印を解き、シモネッタの魂を再び解き放った。その結果としてもたらされたのが、〈春〉と双璧をなすルネサンスの至宝、〈ヴィーナスの誕生〉である。

 

 

「待つ」ことについて


古今東西を問わず、何事かを成し遂げるためには「待つ」時間=期間が必要である。
このことは、先人たちが残してくれた金言からも、推し量ることが出来る。


・人事を尽くして天命を待つ(私の義父が好きな言葉)
・果報は寝て待て(個人的にはこれが…)
・待てば海路の日和あり(船乗りじゃないので、使ったことはないが)
・冬来たりなば春遠からじ(岡ひろみの父親が好きな言葉)
・明けない夜はない=止まない雨はない(そういえば最近TVで見た映画「100回泣くこと」で、「降らない雨はない」というヒロインのオバカな科白があったな〜)
・慌てる乞食は貰いが少ない(これはちょっと違うか)


「待つ」ことの辛さには、それがいつまで続くのか分からない、という厄介な面がある。


かつて、青森県下北半島に出張した際、三沢駅青い森鉄道)で大雪のため足止めを食らい、今日中に目的地に着けるかどうかイライラしていた時、駅長が言ってくれた「どんなに遅くなっても、今日中に必ず1本は通しますから」で、気持ちがフッと軽くなったことを鮮明に思い出す。
同じ駅で待たされていた地元高校生たちの屈託のない笑顔に、雪国の人は「待つ」ことなんて(毎度のことだから)全然ヘッチャラなんだ、と妙に感心した記憶も…


話は変わるが、先日宮部みゆきの「ソロモンの偽証」を読んだ。
中学生だけによる陪審員裁判という、奇想天外な物語がとても面白かった。ただし長いけど。
その中に、「待つ」ことについての秀逸な一文があったので紹介します。


「幼さは、若さは、すべて同じ弱点を持っている。待てないという弱点を。事を起こせば、すぐに結果を見たがる。人生とは要するに待つことの連続なのだという教訓は、平均寿命の半分以上を生きてみなければ体感できないものなのだ。そして、うんざりすることではあるけれど、その教訓は真実なのだと悟るには、たぶん、残りの人生すべてを費やすまでかかるのだ。」


私も当分は、「待つ」日々が続きそうである。

至高の日本工芸



毎週土曜日の夜、TV東京の「美の巨人たち」を欠かさずに見ている。
8月は毎年恒例の「建築シリーズ」で、城をはじめとする国内の建築4作品が紹介される。
今年の目玉は、世界文化遺産に登録されたばかりの、ル・コルビュジエ「西洋美術館+世界遺産作品群」だろう。


それとは別に、これも毎年、日本工芸の超絶技巧シリーズというのがある。
今年は先週(7/30)、七宝が取り上げられ、番組には珍しく二人の工芸家のライバル物語だった。


そのうちの一人、無線七宝を考案した濤川惣助の傑作を、赤坂迎賓館「花鳥の間」で見ることが出来る(今年から一般公開されるようになったそうだ)。「美の巨人たち」HPより


4月〜5月に都美術館で開催された若冲展に、長蛇の列が出来たことは記憶に新しいが、
並ばずに見られる(笑)、日本工芸の至高の美の方が、私的にはお勧めである。


なお、「美の巨人たち(二人のナミカワ)」は、8/24の23時〜 BSジャパンで再放送があります。
お見逃しなく!

フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館 4K3D


なんと、3年ぶりのブログ更新です。


映画 『フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館 4K3D』


が先週土曜日(7/9)から公開されています。


私も、今月中には観に行きたいと思っています。


残念ながら全国どこでも、という訳にはいかないようですが、
フィレンツェルネサンス・ファンの方は必見です!



極める_甦る金唐革

以前から動画をアップしたかった過去の番組に、TV東京の「極める(日本の美と心)」がある。

20年前の放送なので、画質・音質ともに良好とは言い難いが、金唐革という工芸ジャンルに興味のある方は、ぜひご覧ください。


1993年2月12日放送 TV東京「極める(日本の美と心)」甦る金唐革(その1)


1993年2月12日放送 TV東京「極める(日本の美と心)」甦る金唐革(その2)

美の京都遺産2

先日放送のあった「美の京都遺産」に少しだけ顔を出した。
昨年2月に収録したので、本来ならこれが私のTVデビューになる筈だった…
ところが、今年の初めに関西の人気バラエティ番組からお声が掛かり、そちらに先を越されてしまった。
あまりにも性格の違う2番組だが、よろしかったらご覧ください。


1/25放送 朝日放送「探偵ナイトスクープ」声でグラスを割る男!?


3/3放送 毎日放送「美の京都遺産」徳力彦之助