分析編を続けます。
20年近く前に、こんな文章を書いたことがあります。
絵画の解釈に新機軸を打ち出そうとする際、そこに何らかの客観的事実を付与できれば申し分ないが、そのような幸運に恵まれるのはおそらく稀なことだろう。
私の乏しい知識から想像するに、絵画の客観的事実といえば。文書や記録といった別個の存在を除いて、絵そのものを対象とした場合には、例えば「X線照射の結果、絵の下書きが判明した」とか、「絵の具の物性を分析した結果、新事実が浮かび上がった」など、化学的根拠に基づいたものがほとんどであるように思う。しかし、ここに今ひとつ、異なるアプローチ方法が存在する。
私が試みようとするのは、化学的分析ではない。
〈春〉の中で唯一、物理的に証明可能なものがあるとすれば、それはエロス(キューピッド)の矢である。登場人物の動きや背景に込められた意味などの解釈は、それがどれ程もっともらしいと感じることが出来たとしても、所詮仮説の域を出るものではない。しかしエロスは今まさに矢を放とうとしている。したがって、矢が「まっすぐ」飛ぶことが信じられるのであれば、それが何処へ飛ぶのか、すなわち的が存在するのか否か、物理的に検証することは可能なはずである。
さて、エロスの矢はいったい何処に向かって飛ぶのでしょうか?
春と誕生_エロスの炎の矢
〈春〉のエロスにはもう一つ特徴がある。炎の矢をつがえていることだ。
エロスの矢は、恋を自在にあやつるアイテムとして有名だが、通常その矢尻は金か鉛のはずである。金の矢で射られると激しい恋心を抱き、鉛の矢で射られると自分を恋い慕う者から心が離れていくのだそうだ(アプロディテの花園に甘い水と苦い水の泉が湧いていて、その水を使うというバージョンもある)。
炎の矢は、まぎれもなくボッティチェリのオリジナルで、そこには重要な意味が込められているのだが、答は総合編までお待ちいただくことにしよう。
矢はまた、エロスを象徴する重要なアトリビュートである。しかし、それだけの意味なら画家はエロスに矢を持たせるだけで事足りる。ところが〈春〉の男神は弓を引き絞る姿で描かれている。したがって、それは的に向けて矢を射る行為を表していると理解すべきだろう。
ならば、分析編の面目躍如で、さっそく的の探索を開始することにしよう。
従来説では、矢はカリテスの真ん中の女神に当たるとされている。そして彼女は恋に目覚めると。彼女に矢を命中させたければ頭か胸を狙いそうなものだが、矢の延長線は女神の左肩をかすめているだけだ。これで命中と言えるのだろうか。
「君ぃ~、そんな野暮なことを言っちゃ~いけない。だいたい当たっていれば、それでいいんだよ~」などと、どこぞの偉い先生のお叱りが聞こえてきそうだが、逆に「もっとよく見ろ」と反論したくなる。だいいち、いつ矢が放たれるのか分からないのに、それがロンド(輪舞)を舞う3人のうちの誰に当たるのかを、どうやって判定すればよいと言うのか。
それはさておき、エロスの矢をクローズアップすると画家が鋭いアウトラインを引いていることが分かる(上の図版)。この厳格な輪郭線を、ボッティチェリは何も意図せずに描いたのだろうか。
矢の角度は垂線に対して約36度であり、これをそのまま延長すると画面左下隅から数cm内側で絵の下端と交差することになる。しかし、その線上に的らしきものは見つからない。
エロスが画面の中央上部に描かれていて、矢が左下に向けられているため、否が応でも反対側の斜線が暗示されることになる。画家は中心線上絵から数cm上方にピンを刺し、そこから、左右両下隅から等距離だけ内側に寄ったポイントに向けて、糸を引っ張ったに違いない。建築の現場で大工が墨を打つ要領だ。
そこで、矢がどこに向かって飛ぶのかを検証するため、画面中央を軸に矢の斜線(左斜線)と対称の右斜線を引き、その軌跡をたどっていくと。画面右下隅に2輪のアイリス(菖蒲)が描かれており、そのうちの左側の花と右斜線がピタリと重なるのである。