〈春と誕生(分析編)〉春の画題

〈春と誕生〉の中身を小出しすることにします。
原稿は完成しているので、本来なら出版が叶えば良いのですが、今のところ、どの版元も首を縦に振りません。
そうなると、私にできる発信手段は、今のところこのブログ位しかありません。


ボッティチェリは〈春〉を読み解くために、この絵に5つの手がかりを残している。そのうちの1つは言葉で、残りの4つは、9人の登場人物中4人を特徴づけることで表現されている。[分析編より]
〈春〉という絵の最もミステリアスな点はその画題にある。この意味深長なタイトルこそが、画家の意図とは裏腹に解説者たちを別の方向へと導き、制作後540年を経た今日まで私たちの目を真実から遠ざけてきた原因に他ならない。[総合編より]



                        春と誕生_春の画題

この絵のタイトルは本当に〈春:la Primavera〉なのだろうか。

私たちは未だにこの素朴な疑問にすら明快な解答を与えていない。なかにはこの絵のことをポリツィアーノの詩にちなんで「ヴィーナスの王国」と呼ぶ人もいる。辻邦生も「春の戴冠」の中で、この絵を「ヴィーナスの統治」と呼んでいる。

タイトルの意味、すなわち画家の真意は総合編で明らかにするが、ここでは題名の由来について考察しておくことにする。

この絵に制作当初から〈春〉という画題が付与されていたかどうか、今のところ確証はない。定説では、ジョルジョ・ヴァザーリが「美術家列伝」に以下のように記したことが題名の由来とされている。

「Per la citta in diverse case fece tondi di sua mano, & femmine ignude assai, delle quali oggi ancora a Castello, luogo del Duca COSIMO di Fiorenza sono due quadri figurati, l'uno Venere, che nasce, & quelle aure & venti, che la fanno venire in terra con gli amori: & cosi un'altra Venere, che le grazie la fioriscono dinotando la primavera; le quali da lui con grazia si veggono espresse. ―――その街の様々な邸のために自らの手で円形画を作り多くの裸婦を描いたが、フィレンツェにあるコジモ公のカステッロ荘に、今日でも2枚の絵が残っている。1枚は誕生するヴィーナスで、そよ風と風がアモルたちとともに彼女を陸地へと運んでいる。もう1枚のヴィーナスは、三美神によって花で飾られており、春を表している。いずれもとても優美に描かれている。」(筆者訳)

ヴァザーリの記述は正確さを欠く面もあり、すべてを真に受ける訳にはいかないが、少なくとも〈春〉という題名を彼が案出したとする考えには賛同できない。もしも、絵が他の呼称で呼ばれていたり、あるいは無題だったとして、〈春〉という言葉を彼自身が思いついたのだとすれば、到底このようなあっさりした表現にはならなかったろう。

ヴァザーリメディチ家(コジモ公)の招きを受けてカステッロ荘を訪れた時、ホストは客に2枚の絵をなんと言って紹介したのだろう。詳しいことはもちろん分からないが、常識的には作者と画題(なければ主題)を告げたと考えるのが普通だ。この時ヴァザーリは〈誕生〉という言葉には何の違和感も覚えなかったに違いない。しかし、もう一方の〈春〉はどうだったのだろう。この絵を初めて目にする人が〈春〉というタイトルを告げられた時、何の疑問もなくすんなりと受け入れられるだろうか。

客が主人に画題の由来を尋ねたかどうかも分からない。それに対する説明があったか否かも不明だが、ゲストを得心させるような、さらに踏み込んで感銘を与えるような解説があったとしたら、きっとヴァザーリはそのことを「列伝」に記したはずだ。

一般にはあまり知られていないが、この絵の元々のタイトルは〈春の寓意:allegoria della Primavera〉である。現在ウフィツィ美術館は、略称である〈春:la Primavera〉を使っているが、以前私がこの目で実際に見た銘板には、確かにallegoriaと刻印されていた。ウフィツィがその名称を認知したのは、絵が最初に美術館に入った時(1815年)だと考えられるが、所有者(メディチ家)の申告に基づいて登録したことは想像に難くない。一方のヴァザーリだが、彼が「列伝」に書き残したのはdinotando la primavera(春を表している)という言葉のみである。

もうお分かりかもしれないが、つまり、ヴァザーリが名付け親なのだとしたらallegoriaはどこからまぎれ込んだのか、ということなのだ。絵がウフィツィ美術館に入った当時、この絵に画題がなく彼の言葉が唯一の根拠だったとすれば、美術館は〈春:la Primavera〉と記載したはずである。

絵描きは、当然のことながら絵の「意味」を知っている訳で、たとえ見る者にはピンとこなくともそれにふさわしい画題を与えようとする。そこには、わが子を命名するのにも似た強いこだわりがあるからだ。些か乱暴だが、逆の言い方をすれば、題名にこだわるのは作者のみで、見る側は別に何だって構わないのだ。

絵のテーマが「聖母子」や「受胎告知」のように歴然としている場合なら、画題がなくとも後世の人々がそう呼ぶことは考えられるが、古代以降初めて、異教(ギリシア神話)の神々をほぼ等身大で描いたこの作品に、その内容を理解していない他人が、〈春〉という銘を付けることなどあり得ない。

「春を表している」という曖昧な表現は、絵から受ける印象とタイトルとのギャップから生じた言葉だと私は想像する。「メディチ家の人たちはこの絵を〈春〉と呼んでいる、私にはその理由はよく分からないが」といったニュアンスだろう。

そして、ヴァザーリがカステッロ荘を訪れた時、この絵が〈春〉と呼ばれていたとすれば。その後、メディチ家ウフィツィ美術館にallegoria della Primaveraと申告したのならば。題名は当初から一貫して〈春の寓意:allegoria della Primavera〉だったのであり、メディチ家の人々はこれを省略して〈春:la Primavera〉と呼んでいたと考えるのが自然である。

〈春の寓意〉という画題は、必ずやボッティチェリ自身が与えている。そこには、彼の深い思いが込められているのだ。

なぜこの絵のタイトルは〈春の寓意〉でなければならないのか。この問いに対して、誰もが納得のいく解答を与えないかぎり、私にはその解説が画家の真意を語っているとは思えない。