〈春と誕生(分析編)〉春のキャスト

                    〈春〉に描かれた神々の名(右から順に)

ギリシア神話

ローマ神話

他の一般的な呼称

ゼピュロス

 

西風

      ???

 

フロラ

花の女神

アプロディテ

ウェヌス

ヴィーナス

エロス

クピドまたはアモル

キューピッド

カリテス

(アグライア、エウプロシュネ、タレイア)

グラティア

三美神/グレイス

(輝き、喜び、花盛り)

ヘルメス

メルクリウス

マーキュリー


前回の記事にこう書きました。
ボッティチェリは〈春〉を読み解くために、この絵に5つの手がかりを残している。そのうちの1つは言葉で、残りの4つは、9人の登場人物中4人を特徴づけることで表現されている。[分析編より]

前回は言葉(タイトル)について分析した訳ですが、これ以降は登場人物の分析になります。
そこで、いきなりギリシア神話の神々の名前が出てきてもややこしいので、まずは〈春〉のキャストを紹介しておくことにしましょう。


                       春と誕生_春のキャスト

〈春〉に描かれた人物は全部で9人。うち8人まではギリシア神話の神々だが、その中になぜか1人だけローマ神話の女神が交ざっている。

それはともかく、さっそく〈春〉のキャストを紹介していくことにしよう。

画面向かって右側から、頬をふくらませて息を吹き、左隣の女性に寄り掛かるようにしている、翼のある蒼白の男性はゼピュロス(西風)。1人とばして、花柄の衣裳を着て薔薇を撒き、足下に一際多くの花が咲き乱れている女性は、一人だけローマ神話から呼ばれたフロラ(花の女神)。画面中央、少し奥まった位置で右手をかざし、女王然として佇んでいるのはアプロディテ(ヴィーナス)。その頭上、目隠しされ炎の矢をつがえているのは彼女の息子のエロス(キューピッド)。アプロディテの左隣、3人1組で舞っているのは女神の侍女カリスたち(三美神/グレイス、複数形はカリテス)。一番左側で、宝杖(ケリュケイオン)を手にして雲を指し示しているのはヘルメス(マーキュリー)である。

ただし、カリテスの3人(アグライア、エウプロシュネ、タレイア)のうち、どれが誰なのかを特定することは難しい。なお、無用な混乱を避けるため、これ以降神々の名は原則としてギリシア神話名で記述することにする。

右から2人目の女性だけが誰なのか分からない。彼女だけが神々の持つ特徴を備えていない。ボッティチェリが描く神話の神々は、衣裳やアトリビュート(持ち物)によって常に明確に特徴づけられている。それが誰なのか見分けがつかないような神を画家が描くとは思えない。

それもそのはず、彼女は人間の娘である(後に神に昇格する)。しかも、それが誰なのかが分かればテキストが判明する物語のヒロイン、この絵を読み解くキーパーソンである。

美術書や画集を見ると、右から2人目の女性は、ローマ神話のフロラ(花の女神)あるいはギリシア神話のクロリス(ニンフ:大地の精)と考えられているようだ。ここで簡単に従来の説に触れておくことにしよう。

フロラ説は、ボッティチェリと同時代の詩人、アンジェロ・ポリツィアーノAngelo Poliziano 1454-1494)の長編詩「ラ・ジョストラ(馬上槍試合)」をテキストと考える説である。

その中に「ヴィーナスの王国」という詩があって、そこにはヘルメスを除く〈春〉のキャストがすべて登場する。ただし、右から3人目の女性はプリマヴェーラ(春の女神)と考えられているようだ。

〈春〉が「ヴィーナスの王国」の影響を受けていることに異存はない。ただし、この詩(下記参照)を絵の原典とすることには賛同できない。理由はヘルメスの不在であり、そのことを納得がいくように説明してくれる解説も今のところ見当たらない。また、プリマヴェーラという女神の存在は画題を説明するのには好都合かもしれないが、彼女のみを根拠にタイトルが決まったとする主張は、逆に説得力に乏しい。

ついでなので、ジョストラ(馬上槍試合)にも少し触れておくことにする。

ボッティチェリが〈春〉を描いた当時、フィレンツェは実質的にメディチ家の統治下にあった。当主は直系のロレンツォ・デ・メディチ(Lorenzo de’Medici 1449-1492)で、彼はまたメディチ家の他のロレンツォたちと区別する意味で、ロレンツォ・イル・マニフィコ(偉大なロレンツォ)とも呼ばれていた。

1475年。ロレンツォ・デ・メディチは、ヴェネツィアとミラノとの同盟を祝って、フィレンツェ・サンタ・クローチェ広場においてジョストラ(馬上槍試合)を催した。彼はこの機会を利用して4歳下の実弟、ジュリアーノ・デ・メディチ(Giuliano de’Medici 1453-1478)の名声を高めようと考えていた。その期待に応えてジュリアーノはこの大会で優勝する。そして優勝者に冠を授ける美の女王として選出されていたのが、薄命の美女シモネッタ・カッタネオ・ヴェスプッチ(Simonetta Cattaneo Vespucci 1453頃-1476)だった。フィレンツェの人々は、若いヒーローとヒロインの誕生に大いに沸き返ったことだろう。その鮮烈な印象ゆえ、2人のロマンスは永く語り継がれることになる。ポリツィアーノは長編詩「ラ・ジョストラ」を2人に捧げ、ボッティチェリは試合当日のジュリアーノの標旗を描いている。

これを遡ること6年。1469年にはロレンツォ・デ・メディチの20歳の誕生日を記念してのジョストラが同じ場所で開催されている。この時、主役の旗印を描いたのはアンドレア・デル・ヴェロッキオ(Andrea del Verrocchio 1435-1488)。レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci 1452-1519)の師匠で、ボッティチェリにも多大な影響を与えた大工房の親方である。また、1469年という年は、ロレンツォが父ピエロの死去にともないメディチ家家督を継いだ年でもあった。ジョストラの説明はここまで。

一方、クロリス説は古代ローマの詩人、オウィディウス(Publius Ovidius Naso B.C.43-17)の「行事暦(祭暦)」に典拠を求めている。

ギリシア神話のニンフ(大地の精)クロリスが、ある時ゼピュロスに見初められ、さらわれていった。彼は自分の愛が真実であることを示すために彼女を正妻とし、花を咲かせるすべての支配権を与えた。その後、彼女はローマ神話の花の女神フロラと同一視されるようになる。

「行事暦」の当該箇所はオウィディウス本人によるフロラへのインタビュー形式で語られている。彼女が話し始めると口からは薔薇の息があふれ、「私は今でこそフロラと呼ばれているが、ギリシアではクロリスというのが本当の名前だった」といった具合。〈春〉の右側がこのシーン(ゼピュロスにさらわれ、口から薔薇)を表していると考えられているのだろう。ただし、「行事暦」にエロスは登場しないし、アプロディテやヘルメスが出てくるのも別の場面である。

なお、クロリス説では3人目の女性に関して2つの異説がある。一方は、彼女をフロラとしクロリスからの変容が描かれているとする説。他方は、彼女をクロリス=フロラの庭園にやってきたホラ(季節の女神)とする説だ。ホラ(複数形はホライ)はカリテス同様数人一組の女神たちで、3人説(秩序、正義、平和)、4人説(春、夏、秋、冬)など様々なバージョンがある。〈ヴィーナスの誕生〉で裸身の女神にガウンを掛けようとしている女性もホラと言われており(右から3人目と衣裳が似ているという指摘もある)、フロラ説のプリマヴェーラ(春の女神)もホラ(4人説)の一人である。

ちょっとややこしいが、クロリス~ホラ(いずれもギリシア名)説と、フロラ(ローマ名)~プリマヴェーラ(イタリア名)説は、典拠は違うが描かれている人物は同じである。さらに、ポリツィアーノの「ヴィーナスの王国」が、オウィディウスの「行事暦」の影響を受けて詠まれたことも見過ごすことはできない。

右から2人目の女性に関する代表的な説を簡単に紹介してきたが、これ以上深入りするのはやめておこう。詳しくは美術書等を参考になさることをお勧めする。

 

アンジェロ・ポリツィアーノ「ヴィーナスの王国」

アモルは首尾よく仕返しをするや、

喜びいさんで闇の空をひとっ飛び、

小さき兄弟たちの待つ

母の領国にはや来たれり。

そこでは三美神が楽しげに集い、

美神は髪を花冠で飾る。

好色な西風の神花の女神のあとを追い、

緑なす草は花咲きみだれる。(1-68)

……陽気な春の女神も欠けていない。

彼女は金髪と縮れ毛をそよ風になびかせ、

無数の花々で小さき花冠を結ぶ。(1-72)

アモルたちの母、美しきヴィーナス

その一団と子どもたちに囲まれている。

西風の神は草原を露でぬらし、

数限りない甘美な香りをまき散らす。

いたるところに飛びかい、田野を

薔薇、百合、菫などの花々でおおう。

白、空色、淡黄、紅色、

草原は花々の美しさで驚くばかり。(1-77)

森田義之訳:NHK日曜美術館 名画への旅6 春の祭典(初期ルネサンスⅡ) 講談社より